教育目标为:培养可以承担起未来国际社会的有个性的青少年;实现学习与社团活动两立,身心都得到锻炼;加深学生的知性与教养,重视礼仪,培养其感谢社会的心。
校名は幕末の思想・教育家、吉田松陰に由来。吉田松陰の松下村塾をモデルとし、地元の名士江口一雄(元衆議院議員)が土地を創立者山口久太(元日本体育協会副会長)に無償で提供した。略して「松陰」と呼ばれる事が多く、生徒は「松陰生」と呼ばれている。官立東京高等師範学校体育科を出た体育教師で千葉県体育担当事務官、東海大学体育学部教授、体育学部長、日本体育協会の副会長、名誉副会長を務めた山口が文武両道を奨励した。桐蔭学園をモデルにしていた。質実剛健を重んじると共に、「さわやか」、「はつらつ」、「ひたむき」を松陰人間教育の3大柱にしている。
教育方针与目标:
豊かな自然に囲まれた広大なキャンパス。県下有数の最新教育施設を備えた八千代松陰中学・高等学校。「さわやかな印象」「はつらつとした行動」「ひたむきな姿勢」をスクールカラーとして生徒一人ひとりの「持ち味を生かす教育」を行っています。
未来に目を向け、国際感覚を伸ばす
創立の精神
私は青年を愛し、青年に期待する。21世紀を迎える新しい日本の創造は、青年の自覚と活力にまつ。教育はそのためにある。教育立国こそは今日の日本の最大の課題である。私は教育は聖職なりとの信念のもとに、同志相つどい相団結して、ここに独自の校風をもつ私学を創立した。
私は学習の基本として「わかる教育」を重視し、スポーツを奨励し、健康にして明るく楽しい学園を創る。「物より心」と「命の尊さ」を説き、「記憶より 考える」教育と「個人のもち味を生かす」教育を強調する。
私は人道主義の教育をめざす。人を愛し、国を愛し、世界を愛し、親の恩・師の恩に感謝し、うるわしい日本の心をもつ青年を育成する。私は本学に国際性を導入したい。すすんで世界の若人と友好を深め国際感覚に富む幅の広い勇気ある青年を歓迎する。
私たちは、私学の自由と独立自尊の精神に生きる。私学の毎日は真剣勝負である。私たちは松の緑深きこの八千代の台地にどっかと腰をすえ、社会に役立ち、日本の新しい歴史創りの主人公となる青年の育成のために「命がけの教育」を実践する。
by創立者・山口久太
「教育は一人ひとりの個性・長所・持ち味を発見し、伸ばしてやることにあると考える」創立者・山口久太の言葉より
八千代松陰学園の創立者、山口久太は、1911年(明治44年)、佐賀県唐津に生まれました。成績抜群だった久太少年でしたが、経済的に余裕のない家庭だったため、中学校(旧制中学校)への進学をあきらめざるを得ない状況でした。しかし、彼の才能を惜しんだ教師が両親を説得。奨学金を受けられることにもなり、晴れて久太少年は中学校に進学できることになったのです。
中学校では、下村湖人校長をはじめ素晴らしい先生方、特に体育の教師に多大な影響を受け、「日本一の体操教師になりたい」との夢を抱き、東京高等師範学校(現筑波大学)に進学します。教師となった山口は、その後、日本の教育界・アマチュアスポーツ界のリーダーとして多くの人材を指導・育成してきました。
そして1978年(昭和53年)、当時の教育に危機感を抱いていた山口久太は、八千代市に2万3千坪の校地を取得し、本学園・八千代松陰高等学校を創立。1982年(昭和57年)に同中学校を創立。学習とクラブ活動の両立をはかり、一人ひとりの「持ち味を生かす教育」を掲げるとともに、マナーを重んじ、両親・恩師・社会に「感謝する心」を生徒に説きました。
生涯、学校教育にかけた山口の情熱、そこには少年時代を支えてくれた両親をはじめ多くの恩師や先輩、友人たちへの、また学校という存在そのものへの感謝の気持ちが流れていたのでしょう。
「私がもし生まれ変わって、再び学園を創立するとすれば、必ず君たちを生徒として迎え、一緒に学びたい。こう言わせてくれるみなさんに心から感謝をいたします。」